引っ越しが決まる前のそわそわ
ここ数週間、引っ越しをしようと賃貸物件のサイトを見たり、不動産屋に行ったり、内見に行ったりしてる。1つ気に入った物件があったので申込みをしたのだけど、僕の他にも何人か同時審査を行っているようで、非常にそわそわした気持ちでいる。
ゲイと自認してから初の引っ越しになるのだけど、物件選びの基準が変わったように感じている。これまでは、自分が住むだけだしワンルームとか1Kでいいやと思っていたのが、僕以外の誰かが一緒にいても窮屈に感じないだけの広さがほしいと思うようになった。
こういう風に考えるようになったのは、数ヶ月前に彼氏ができて、恋人が泊まりに来てくれる時にはある程度広い方がゆったり過ごせていいなと思うようになったからだ。ただ、その方とは別れてしまったので、今は引っ越したとしても呼べる恋人はいないのだけど…。
このブログに、恋人が出来たことを書くのはこれが初めてですね。ゲイとして初めての恋人ができてから別れるまでに考えたこと、感じたことは多々あるけれど、相手のこともあるのでブログには詳しくは書きたくないし書けないなと感じている。どこかで振り返るタイミングがあれば良いなと思います。
それで、引っ越しの話に戻すと、そういう理由でこれまでより広い物件に住んでみたいと探し始めたものの、通勤時間を増やすのも嫌、払える家賃も青天井とはいかないとなると、コレだという物件は数える程度しか見つかりませんでした。今回申し込んだ物件は、その数少ない一つで僕の経済状況と物件のスペックがちょうど良い感じに折り合ったので、ぜひとも入居したい。
ただ、あまり期待しすぎるとダメだったときの反動が怖いので、期待しすぎないようにしようと頭では考えているけれど、やっぱり期待してしまう。そんな気持ちの波に揺られてます。
平成最後の夏に出会った言葉
愛の習練にあたって欠かすことのできない姿勢が一つある。・・・何かというと、それは能動性である。
敬語の崩し方
ゲイの友達について
このブログを通じてゲイの方と個別にやり取りをするようになってから、ほぼ半年が経った。僕は自分がゲイだと自認するまで、相手がゲイと分かって誰かと話したことはなかったから、この半年は、何度も新しい経験をさせてもらった。今も1〜2ヶ月前を振り返ると遠い昔のことのように感じられる位に、新鮮な日々を過ごしている。
僕の近況をまた伝えたいと思っている方もいるし、継続的にやり取りする中で、ブログには書きにくい悩みを相談したり、共通する趣味を楽しんでいる方もいる。初めて会った時、楽しく感じると同時にまた会えるのかなと少し不安に思ったりしたけれど、今は自信を持って「また会おう」と言える友達もできた。ブログを始めたばかりの頃を思い返すと、なんて恵まれた状況だろうという感慨が湧いてくる。
ゲイの友達には、ゲイではない友達と比べると、「仲間」だと感じる瞬間が多い。そんな瞬間を感じた場面を2つ、書いてみようと思う。
1つ目は、僕の性格は「慎重さ」が結構強いと思うのだけど、慎重が行き過ぎてゲイとしてどうやって行動していけばいいのか足踏み状態になっていた時、あえて僕の「慎重さ」と違う考えをぶつけてくれた方がいた。ブログに書いたことも書いていないことも含めて、お互いのことを知った上での踏み込んだ言葉は、相手がどういう意図でその言葉を言ったのかと考えることができるから、僕も真剣にその言葉を受け止めて、自分の「慎重さ」の先にあった、僕が怯えているものを見つめ直すことができた。
その時のやり取りを通じて、僕は自分の「慎重さ」を大事にしつつも、自分が想像していないことが起きたときにも楽しめる位の余裕を持とうと意識するようになった。それができるようになったとは言わないけど、このことを意識するようになってから、色々と身の回りにも変化が起きるようになって、僕にとって一つの転機になったように思う。
もう1つ、ゲイを自認して行動を始めたばかりの僕は、ゲイの人に会うと悩みを聞いてもらうことが多かったと思うのだけど、この間、何度も会っている方とちょっとした用事があってお会いした時、ゲイとしての側面ではないことについて、その方が抱えていることを聞かせてもらった。そして、一通りの話を聞かせてもらった最後に、「この話はふちさんに初めてしたかも」という言葉を聞いて、とても嬉しかった。
そのときに思ったのは、セクシャリティに関係のない悩みについて相談するにしても、自分がゲイであることを知らない友達より、同じセクシャリティの友達の方が相談しやすいのではないか、ということだ。
自分のことをゲイだと知らない友達には、それがどれだけ付き合いが長い友達だとしても、ゲイであるという秘密を抱えていると(時と場合によって大なり小なり違いはあるにせよ)意識してしまうだろう。そして、相談したい悩み事がセクシャリティと直接は関係がないことだとしても、秘密を抱えていることを意識しながら相談をするのでは、腹を割った話をしにくくなってしまう。
じゃあゲイ同士だと何でもすぐに話せるのかというと、ゲイ特有の悩みは初対面でも話しやすいけど、ゲイ以外の側面で自分を形作ったような過去や悩みをありのまま話すとなると、ある程度の期間やり取りが続いている人でないと難しいのかなと思う。
ゲイの友達は、ゲイ特有の悩みを相談できる意味で大切なのは間違いないけど、ゲイとしての側面が直接関係しない悩みについてもお互いに相談できる友達がいると、人生に大きな安定感をもたらしてくれると感じている。ゲイの人間関係は長続きさせるのが難しいと聞くこともあるけれど、今の僕の周りにあって、広がりつつある繋がりを大事にしていきたい。
『カササギ殺人事件』の感想
今日はあまりの暑さにとうとう冷房を使い始めて、涼みながら読書してました。読んだのは『カササギ殺人事件』というミステリーです。友人からオススメされて手に取ったのだけど、2018年末に結構な話題になっていた本みたいです。
小説の前半は、アガサ・クリスティのオマージュになっていて、古典ミステリー的な雰囲気を楽しめました。アガサ・クリスティは『そして誰もいなくなった』とか『パディントン発4時50分』とか、有名なものしか読んだことはないけど、インターネットも携帯電話もない時代のミステリーは結構好きで(僕が好きなのはアイザック・アシモフの『黒後家蜘蛛の会』シリーズ)、この『カササギ殺人事件』もネットが発達する以前のミステリーの雰囲気をしっかり味わえて、面白かったです。
後半は現実世界(現代)のミステリーになっているのですが…ネタバレにならないように、読み終わった時の頭に残っていたことをいくつか書いてみます。
物語の終わりに女性編集者の主人公が、「わたしの新しい人生は、それまでの人生のアナグラムであり、もともとはどんな形をしていたのか、新しい人生を生きはじめたときにようやく見えてきたということだ。」と回想するシーンがあるのですが、去年から色々と変わりはじめた自分の生活を振り返って、考えさせられる言葉でした。
ゲイブログ的なポイントとしては、出番の多い登場人物に、ゲイの年の差カップルがいます(登場してすぐに別れてしまうのですが)。最近の小説に同性愛者が出てくることはそんなに驚くことじゃないのかもしれないけど、ゲイがどういう描かれ方をされているのか、つい注目しちゃいますね。この小説ではゲイに関することは物語のメインではないのだけど、それなりに丁寧に描かれているように思いました。
あと、僕がゲイであることを知らない友人が、ゲイが登場する小説を勧めてくれた、ということもちょっと嬉しかったですね。ゲイが出るかどうかは関係なく、面白いと思ったからオススメしてくれたんだと思うけど、それがかえって嬉しく感じます。
久しぶりにミステリーを読んで面白かったので、もう何冊か読んでみようかな。