fuchi's diary

都内在住のゲイの感じたこと、考えたこと

また書きたいものを見つけました

お久しぶりです。1月以来、だいぶ久しぶりの投稿となりました。
この間、何度かブログを書こうと思ったこともあったけど、書き始めてみると全然筆が乗らなくて、今は文章を書く意味を見いだせない時期なのかな、と文章を書くこと以外の生活を優先していた。
 
何を書いたらいいかわからない、というのが更新が途絶えた直接的な理由だけど、その理由を深堀りしてみると、今年の年明け頃には、このブログに僕が求めていた、文章を書く目的を達成していたんだと思う。
その目的は1つではなくて色々あるけど、主には2つ、ゲイとして自分がどういう行動をしていったら良いか、その道筋を見つけることと、文章を通じてゲイとして一緒に歩いていける仲間がほしいというものだった。どちらも一度達成して終わりになるものではなくて、何年、何十年にも渡って向き合っていくような目的だけれど、ブログを通じて達成できるところまでは届いたかな、という感触を去年のうちに感じていた。
 
そんな訳で、もうブログに文章を書くことはないかなと思っていたのだけど、最近、心境の変化があった。
 
このブログを始めたのは約2年前になるけれど、ブログを書き始めてからずっと、僕は、ゲイとしての経験が他の方と比べて不足しているという思いを持ち続けてきた。
最初に投稿した記事にも「ゲイとして生きたいという気持ちが沸いてくると、10代、20代という貴重な時期を、ゲイとしての自分を見ない努力ばかりして、何もしないまま31歳になってしまったことが悔やまれる。だけど、これは後悔してもどうしようもない。」と書いていた。
 
ここに書いたとおり、30歳を超えてから活動を始めた僕と、若い頃からゲイであると自認して同じセクシャリティの友人を作ったり恋愛している人を比べると、見ている世界がどんなに違うだろうと、羨ましい思いが常にあった。
ただ、過去には戻れないから今から始めるのが僕にとって一番早いんだと言い聞かせて、劣等感を持っても仕方がないからと諦めて、そのことはできるだけ考えないようにしていた。
 
だけど、アプリでゲイの人と会って、お互いの恋愛経験の話をするようになると、活動を始めたばかりということに驚かれることが多かった。今から振り返ってみると、純粋に驚いているだけの人が多くて、経験が少ないことをマイナスに受け止められることは殆どなかったように思うけれど、僕は、ゲイの人と会うようになったのはこの1、2年ですと話すたびに、この劣等感とずっと付き合っていくのかなと苛まれ続けてきた。
 
ところがある時、アプリで出会った方に、後ろめたさを覚えつつゲイを自認してからの短い経験を話したところ、その人は僕の予想を裏切って、「恋愛経験少ない方が嬉しいですよ。初めてをたくさん共有できるのが嬉しいんで!」と言ってくれた。
この言葉を聞いた瞬間、これ以上ないくらい視界が開けた感覚が一気に降り注いできた。有名なエピソードで、コップに注がれた半分の水を見て、もう半分しか残っていないと感じる人もいれば、まだ半分も残っていると感じる人もいる、という話があるけれど、まさにこういうことだったんだと実感した。
そして、この言葉に出会ってからは、他の誰かと比べるのではなくて、僕なりに一歩ずつ色んなことを経験していけばいいのかな、と心の底から思うことができるようになった。
 
ただ、これまで僕が後悔を抱いていたのも、けして悪くはなかったと思っている。自分は行動を始めたのが遅いという気持ちがあったからこそ、勇気を振り絞ってゲイの人と会ってみる、という一歩を選べたからだ。だから、ものの考え方が180度変わったというより、見えなかった考え方の選択肢が見えてきて、それを選べるようになった、ということなのだと思う。
 
これまでブログを書きづらかったもうひとつの理由は、僕が実際に会った人のことを具体的に書きたくなかった、というものなのだけど、色んな人との出会いを通じて僕が感じたこと、考えたことをできるだけ一般化すれば、書いていけそうに思う。それに、今は鮮明に覚えていて僕の糧になっている出来事も、時が経てば思い出せなくなってしまうかもしれない。なので、今回書いたことのように、僕がこれから先も覚えておきたいことを備忘録として書いてみようと思う。
どれぐらいの頻度で書いていくかはわからないけど、また文章を書く目的を見つけられたので、楽しんで書いていきたいです。

心理的安全性という言葉があるらしい

つい数日前に「心理的安全性」(psychological safety)という言葉を知りました。この言葉を教えてくれた人によると、グーグル発祥のワードで、仕事のパフォーマンスを向上させるには恐怖や不安を感じることがない環境を整えることが重要という研究がある、ということでした。

ちょっとした小話だったのでこれ以上の詳しいことは知らないのですが、話を聞いていて、ゲイが生きていく上でも「心理的安全性」は重要だし、先日書いた文章に関係するところもあるなと思いました。

前回の記事では、年末に感じていた「ゲイとして生きること」を選んだことへの後ろめたさが、ゲイの存在を肯定してくれる家族の言葉によって鳴りを潜めたという話を書きました。後ろめたさが消えた、ではなく「鳴りを潜めた」と書いたのは、これからさきも、同じようなことに悩み、苦しむことはほぼ確実に来ると推測できたからです。

カミングアウトをしていない、またはしていても少数の信頼できる人にしかしていない人にとっては、自分がゲイであると他人に知られることには恐怖や不安があると思います。恐怖や不安の程度は、ものすごく怯えている人もいれば、ゲイであると知られても構わないけど知られたら知られたで面倒だから言わないでおく、くらいの人までいると思います。僕はまだこの恐怖・不安が結構強い方だと思いますが、ゲイであると知られることへの恐怖・不安との付き合い方というか、自分なりの対処方法を用意していくことは、ゲイがより快適な人生を送るために考えておくことの一つではないかと感じました。

それで、僕なりに、この恐怖や不安とうまく付き合っていく方法は何かと考えてみると、ゲイであることを含め、隠し事をしないで自分のことを話せる人間関係を持つことが一番効果的なんじゃないかなと考えてます。恐怖や不安を感じること自体を否定しようとすると、かえって意識してよけいに苦しむことになるので、恐怖や不安を感じる自分は認めつつ、そういった感情から解放される時間を意識的に作ることが重要ではないかと。ただ、ゲイなら誰でも良いというものでもないのかなとも思ってます。

昨年から1〜2ヶ月に一人くらいのペースでアプリを通してゲイの人と会っているのですが、やはり初対面の人だとゲイという点は同じでもあまり話が噛み合わずにお茶しただけで解散ということもありますし、ちょっとした知り合い、レベルの関係だと自分の仕事とか家族の個人情報を含むような話は中々できないですからね。

そういった意味では、ゲイの友人をつくって、長い関係性を築いていきたいという、去年から僕がこのブログに書いてあることに結局戻ってきたことになるのですが、自分のやろうとしていたことにさらにプラスの意味付けができたので、引き続きこの目的を持ちながら日々を過ごしていきたいです。

自認後のぶり返し

前回の記事を書いてからあっという間に年を越してしまいました。11月から12月にかけては仕事が忙しくて、深夜まで帰れない日もちょくちょくあり、それだけの仕事をこなせる体力が戻ってきたことに安堵しつつ、また仕事だけの人生に戻ってしまわないように気をつけなきゃと改めて思う、そういう日々でした。

年末年始は実家に帰って家族と過ごしたり、地元の友人と忘年会をしたりして過ごしましたが、令和元年の年末はこのブログで文章を書き始めてから一番強く、ゲイであると自認したことへの反動がありました。正確にいうと、自分が男の人を好きになることはもうゆるがないだろうという実感があるので、そのことを拒否するという気持ちはなかったのですが、男の人を好きになるということは前提とした上で、「ゲイとして生きること」を選択して本当に良かったのかという思いが湧きました。

そう思うようになった原因は色々あるのですが、年末が近づくにつれて、職場の同僚や地元の友人の家庭で子どもが生まれる予定というおめでたいニュースが続いて、自分のごく身近に居る同じ30代前半の男性が、次々と人生の新しいステージに進んでいくのを目の当たりにしました。その一方で、自分は相変わらず一人でいるなとか、年を重ねるほどどんどん孤独な人生になってしまうのではないか、という感覚に囚われたことが大きいように思います。

そういうことを一度考え始めてしまうと、年末はブログ開始前のスタート地点に戻ったような感じで、ゲイだけれども女性と結婚する可能性とか、あるいは家庭をもつことに代わる何か人生をかける大仕事を見つけられないかとか、そんなことばかり考えていました。過去の経験から、女性とお付き合い・結婚することはできないし、しない方が良いと結論を出したはずなのに、ただただゲイであることから逃げるように、答えの出ない思考をグルグルと続けていました。

そんな心境の中、実家で母親・兄夫婦と新年を迎えました。一般的なゲイあるあるの話としては、帰省すると家族から結婚はまだしないのかなどと言われてマイナスな感情が生じることが多いと聞いていますが、ありがたいことに僕の場合はその逆でした。

親から結婚を急かされる子どもという、まさにその話題が、三が日のとある日の夕食で(僕のことではなく他の家庭の話として)出てきたのですが、兄夫婦は「結婚してもしなくても、子どもを産んでも産まなくても良い」とか、「(自分の子どもは)男の人を好きになっても女の人を好きになっても良い、生きているだけで良い。自分でお金を稼いで生きていく方法を身につけてほしい」というような会話をしていました。その場には、僕もいたし、僕の母親もいたし、兄の子どももいました。自分の子ども(それも大人の話していることもある程度分かる年齢の子ども)が目の前にいるところで、このような言葉を言ってくれたのはとても嬉しかったです。

その言葉をきいてから、やっぱりゲイとして生きていく方が良いのかなという思いがまた強くなってきて、今では、年末に感じていた「ゲイとして生きること」を選んだことへの後ろめたさは鳴りを潜めました。

長くなったので、一度このあたりで区切り、また続きを書こうと思います。 

 

ブログ開始から1年を振り返る

去年、このブログで初めての記事を公開してから、1年が経ちました。

 

最初に投稿した記事の冒頭で、「ゲイとして生きていく自分を受け入れる決心がついた」ということを書いていたのですが、この記事を読むと、ブログを始めたばかりの頃の、ものすごく気負っていた心情がよみがえってきます。

去年の11月を思い出すと、その頃の僕は仕事が原因で崩していた体調が回復したばかりで、無理をすればまた体調を崩してしまう可能性もあるような状態でした。ですが、体調面に不安はありつつも、ゲイとして何か行動したいという気持ちが抑えられず、はやる気持ちをなだめるように文章を書いて、ブログに投稿していました。

 

ブログを書き始めてから1年が経ち、当時は気合を入れて「受け入れる決心」をする対象だった僕のゲイとしての側面は、「自然なもの」として自分の一部になったように感じています。言葉でいうのが難しいのですが、ゲイとしての自分を受け入れるまでに形作られていた僕という存在の中に、ゲイとしての側面が溶け込んだという感じでしょうか。 

ブログを始めたばかりの頃は、ゲイ以外の知り合いにカミングアウトしないことへの葛藤とか、ゲイであることを隠していることに対する辛さとか、ゲイだからこその悩みがずっと続いていくのかなと思っていたのですが、ゲイの人と会うようになってから、あまり気にならなくなったのは意外でした。

今は、自分の周りにいる誰もが、僕には想像もつかない秘密の1つや2つは抱えているのだから、僕がゲイであることを話さなくても気にする必要なんてないじゃないか、と考えるようになりました。もうちょっと年齢を重ねて、40歳が見えてくるとまた受け止め方が変わってくるのかもしれませんが。

 

最近は、ゲイであるかどうかに関係なく、まず自分の生活を整えることが自分のやりたい方向に人生を向かわせるために大事だなと、そういう風に思うことが多いです。ゲイである、ゲイでない以前に30代の今考えておくこと、やっておいた方が良いことが色々あるなと感じています。

引っ越ししたばかりで生活環境が変わったタイミングというのも大きいですが、どういう地域に暮らすか、どういう物件に暮らすか。食事はどれだけ自炊をして、どれだけ外食に頼るのか。そういった毎日繰り返す生活を自分なりに大事にしていきたいです。

ものすごく地味ですが、この1年、1回会ったきりの人から繰り返し会っている人まで色んなゲイの人と会う中で、どうも僕は刺激にあふれる毎日よりも地味な中にもちょっとした変化に楽しみを見出す性分らしいと見えてきたので、意識的に生活のゆとりを大切にしていきたいです。

また、主にこのブログを通じてできたゲイの友人たちと会ったり話をする機会が途切れずに続いていることはとてもありがたく思ってます。ゲイの友人たちと会うのは、最初の頃はとてもエキサイティングな、嬉しいけれどもドキドキ緊張もする時間だったのが、今では良い意味で気を使わなくなってきていて、これもやはり僕にとって「自然」な関係になってきているのだと思います。

 

こうして振り返るとこの1年は、僕の中のゲイという側面を、ブログを始める前のように無視するのでもなく、ブログを始めたばかりの頃のように重く捉えすぎるのでもなく、自分の生活の一部として受け止めるようになっていった、そういう1年だったようです。

ブログは2年目に入りますが、こんな感じで、僕の思ったこと、感じたことをこれからも書いていきたいと思います。

ダイニングテーブルを買いました。

引っ越しを考えている、という文章を書いてからあっという間に2月弱が経っていた。

9月頭に申し込んでいた賃貸物件には結局決まらなくて、ガックリしていたのだけど、その直後に僕の希望する条件にもっと合致する物件の募集を見つけて、結局そこを借りることになったのだから、一寸先はわからないものです。

引っ越しの前後は中々落ち着かなくてブログを放置していたけど、やっと生活に使うものが大体揃って、一息つくことができました。

 

今回、引っ越しをきっかけに新調した家具類がいくつかあるのだけど、僕の中でこれを買うぞと意気込んで買ったものが、ダイニングテーブルです。

これまでの一人暮らしではローテーブルをメインで使っていたのだけど、誰かを家に招いて、ゆっくり食事をしたり話したりするには大きめのテーブルがあったほうが落ち着くかなと、思い切って4人がけのダイニングテーブルを購入しました。

つい先日、そのお披露目というか、引越し後に初めてゲイの友達を家に招く機会があり、ゆったりとした雰囲気の中で色々と話をした。

カフェとか居酒屋で話すのも楽しいけど、家の中でないと話せないことは多いなと感じてます。ゲイに関する話題もそうだけど、自分の仕事のこととか、家族のこととかも、家の中というクローズドな空間だからこそ話せるところまで掘り下げて色々と話せて、とても開放的な気持ちになれた。

ダイニングテーブルの効果だけじゃなくて、家の間取りとか、来てくれた人の人柄とかもあると思うのだけど、大きめのテーブルを買ってよかったなと思える出来事でした。あと、家の中では一人でいる時間の方が多いのだけど、一人の時でも大は小を兼ねるでとても重宝しています。今のところ、大きすぎると感じることはないのでホッとしてます。

 

ブログを書き始めてからもうすぐ1年。何回も同じことを書いている気がするけれど、ブログを始めたばかりの頃は、1年後の自分がこんな風になってるとは想像もできなかった。次回は、この1年の振り返り的な記事を書いてみたいと思います。