fuchi's diary

都内在住のゲイの感じたこと、考えたこと

ブログを始めたきっかけ その1

ブログを公開したのは昨日が初めてだけど、実はアカウント自体は2か月ほど前に取得していて、記事の下書きは9月初めには一応できていた。

そこから昨日、記事を公開するまでの約2か月間は、匿名のインターネット上とはいえ、ゲイであることを自分からオープンにして本当に良いのか、その結論を出すために必要だった時間だ。

結局、記事を公開するという結論になったのだけど、その結論にいたるまであれこれ読んだり考えたりしたから、この記事を含めて何回か、ブログを始めたきっかけについて書こうと思う。

 

僕がこのブログを始めるきっかけの一つは、昨日のブログでも書いたけど、雑誌『新潮45』関係の文章、具体的に言えば、日本文学研究者であるロバート・キャンベルさんのブログの「「ここにいるよ」と言えない社会」を読んで、ゲイとしての自分が「ここにいること」を誰かに伝えたくなったからだ。 

robertcampbell.jp

この記事を読んで、これまで、ゲイとしての自分を受け入れること=家族・友人など現実の誰かにカミングアウトすること、と短絡的に考えていたけれど、カミングアウトと、ゲイとしての自分を受け入れることは違うことなのかもしれないと考え始めた(今は、全然違うものと考えるようになった。)。

 

そして、匿名であったとしても「ゲイとしての自分がここにいる」と自分の意志で発信することは、ゲイとしての自分を受け入れるために重要で意味のあることだし、ブログなら自分にもできるんじゃないかと思えた。

実際、調べてみると、ゲイとしての日常を書き綴っているブログはたくさんあった。色々なブログを読んだ勢いで、試しにはてなのアカウントを取得してみると、手続は思っていたより簡単で、その日のうちに記事の下書きができていた。ここまでが9月初めのこと。

 

そのあと、ブログを公開するかどうか悩みつづけていたのだけど、ある日、ロバート・キャンベルさんのブログが更新されていることを知った。

robertcampbell.jp

更新された記事を読むと、最後の段落の次の箇所に、ドキッとさせられた。

その前にまず、現在「いる」を言うことの意味に、一人ひとりが思いを寄せることが大事ではないかなと、この頃考えるようになった。

この箇所は、異性愛者の人を想定して、あなたのすぐ側にいる、だけどあなたが気付いていない同性愛者は「ここにいる」と言うことができるのだろうかと、「ここにいる」と言えること自体が持っている価値について書いているのだと思うけど、僕は、「ゲイであるあなたは、ゲイである自分自身に思いを寄せていますか?」と問われているように感じた。

 

その問いに対して、僕は、「これまではゲイである自分に思いを寄せることはありませんでした。でも、今はゲイである自分を受け入れたいです」と心の中で答えた。

 

これがブログを始めたきっかけの一つ。既にゲイとしてブログを書いている人にとっては当たり前のことなのかもしれないけど、これまで、ゲイである自分を見ないまま生きてきた僕にとっては、やっと気付くことができた、大切なことだと感じている。