fuchi's diary

都内在住のゲイの感じたこと、考えたこと

一人称について(僕・私・俺)

このブログを始めて起こった変化の一つに、一人称が「僕」に固まったということがある。

 

僕は、子どもの頃から高校卒業までは、あまり意識することなく「僕」を使っていた。中学生の頃、自分では全く意識しないで「俺」と言ったことが一度だけあったらしい。僕は全然気づかなかったのだけど、周りにいた友達が「どうしたの、珍しいじゃん」と驚いて、もう一回「俺」と言ってみてとせがまれたのだけど、意識すると恥ずかしくて、「俺」とは言えなかった。中学生の頃の僕の一人称は、「僕」で固まっていたと思う。

(なぜ「俺」と言う一人称が飛び出てきたか、確証はないのだけど、その頃よく妄想していたBLのキャラクターの一人称が「俺」で、僕はBL小説のキャラクターに感情移入して読むのが好きだったから、それが「俺」と口走った原因なんじゃないかと思ってる。)

 

大学生になると、一人称は行方不明になってしまった。

高校生の頃までは、「僕」を使っても違和感を感じなかったのだけど、大学生になって、「俺」を使う友達が急に増えて、僕は「僕」のままでいいのかなと思った。また、「僕」を使っていた地元の友達が、大学生になって突然「俺」を使い始めたことにも驚いた記憶がある。

ちょうど大学生の頃、石原千秋の『大学生の論文執筆法』を読んでいたら、その本の中に、著者も「私」「僕」「俺」を迷いながら使い分けていて、一人称の使い分けには、自分が置かれたその場その場の場面にどう対処するか、とても複雑な心情があるという話が出てきた。(本が手元にないので、もしかしたら別の本かもしれないけど、この著者の本だったと思う。)

大学の先生でも迷うものを、僕はどうしたら良いのだろうと考え込んでしまった。10年以上前に読んだ内容を今も覚えているのだから、当時はよっぽど印象に残っていたんだろう。

大学生の頃からつい最近まで、僕は、「俺」という一人称を使ってみようとかなりの回数試してみたのだけど、どうしても違和感が拭えなくて、結局、誰かと話をする時は、ほとんど一人称は使わずに過ごしてきた。どうしても一人称がないと話が通じないときは、「自分」という言葉でごまかした。

仕事を始めると、仕事中の一人称は「私」を使えば良いからすごく楽になった。ただ、仲のいい同僚とのくだけた飲み会でみんなが「俺」を使っている中で、僕だけ「私」を使い続けるのは不自然な感じがして、そういう時はやっぱり一人称を使わずにやり過ごしていた。

 

そして、このブログを始める時、一人称をどうするかを考えた。

これを機会に「俺」を使ってみようか。口に出すわけじゃないから、文章なら「俺」を使うこともできるかもしれない。

それとも「私」にしようか。「私」は仕事で普通に使っているから、文章の中で使うことに違和感はない。僕・俺と比べると丁寧な印象を受けるし、誰が読むか分からないネットの世界に出す文章なら、「私」が良いかもしれない。

こんなことを考えたのだけど、自分で言うことができない「俺」では、僕の素直な心情を書く妨げになってしまいそうだし、「私」だと仕事用の文章みたいになってしまって、やっぱり僕の気持ちをそのまま吐き出すことは難しそうに思えた。

そこで、このブログでは、実生活では長らく使っていなかった「僕」を使うことにした。使ってみると、やっぱり僕には「僕」が一番しっくりきた。僕の心と向かい合って文章を書く時、「僕」という一人称は僕をより深い所に引っ張っていってくれる。そんな風に感じている。

 

そして、ブログで使う一人称が固まると、実生活でも、仲のいい友達と話すときは、自然と「僕」を使うことができるようになった。そして、「僕」という一人称を聞いたその友達は、特に驚いた様子もなく、何事もなかったかのように会話は続いていった。

迷子になっていた一人称と再会することができたと感じた。

「やっとまた会えたね」と、僕は静かな喜びを覚えています。

  

大学生の論文執筆法 (ちくま新書)

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