fuchi's diary

都内在住のゲイの感じたこと、考えたこと

会話の際に気をつけてること

ゲイの人と直接会って話すようになってから、数ヶ月が経った。この数ヶ月で学んだことは多々あるのだけど、相手がいることもあって、文章にしていいのか、あるいはどういう文章にするべきか悩んで中々書けないでいた。ただ、色々と経験した直後だからこそ書ける文章もあると思うので、今日は、ゲイの人と会話をするときに、僕が気をつけていることを書いてみようと思う。

周囲に他の利用客がいる居酒屋やカフェでゲイの人と会話をすると、「ゲイ」とか「彼氏が欲しい」という、話の脈絡に関係なくすぐにゲイだと分かる言葉をそのまま使う人もいれば、「(ゲイであると)お互い知ってる友達」とか「恋人と付き合いたい」という風に、話の流れの中ではゲイだと分かるけど、その単語を聞いただけの人にはセクシャリティが悟られにくいよう言い換えて話をする人もいる。

ゲイ同士で会って話をするとき、ゲイであることに関する話をしたいというのは、僕も同じ気持ちだ。また、ゲイ同士で話をする時にまで「この単語はゲイだとすぐ気づかれるから言い換えて使う」なんて煩わしいと思う人もいると思う。同性愛者であることをオープンにして会話をすることに誇りを持つ人もいると思う。それに、カフェや飲み屋の隣の客が何を話していたかなんて、覚えてる人の方が少ないかもしれない。

だから、これから書くことは、良い悪いというより、価値観あるいは相性が合う合わないの話なのかなとも思うのだけど、今の僕は、オープンな場所で自分がゲイだと知られる可能性が生じることに怖さを感じてるので、ゲイだと分かる言葉を直接は使わず、言い換えて会話をしてくれる人に安心感を覚える。

これは作り話ですが、例えば、混雑しているカフェですぐ両隣に他のお客がいる中で、僕がゲイの男性と二人で会話をしているとする。「彼氏と喧嘩をした」という言葉を相手が大声で話した瞬間、ちらりと隣のテーブルの客がこっちを見てくる。僕が話している相手は、隣の客の視線に気づかず、「彼氏」とか「ゲイ」という単語を使い続けている。隣の客は一瞬目を見開いて、僕と相手の顔を見比べた後、何事もなかったかのように僕達から視線をそらす。そんな場面を想像すると、嫌な汗が流れ出しそうになる。

そういう場面に遭遇したら、僕の心の中では、自分のコントロールできない所で僕がゲイであることが意図せぬ形で知られてしまう不安が広がり始めるだろう。隣の客がこっちを見向きもしなくなっても、もしその場所に、自分の知り合いがいたらどうなるのだろうと考えて、不安がじんわりと尾を引いていくと思う。東京に無数にある飲食店で、知り合いとたまたま遭遇する確率なんてゼロに限りなく近いかもしれない。それでも、その可能性はゼロではない。そして、一度知り合いに知られてしまったら、もう知られる前の関係性に戻ることはできない。僕がゲイであることを知ってもらう相手は自分で選びたいし、知ってもらうタイミングもやっぱり僕自身で判断したいと思う。

そんなことを考えて、僕は、カフェや居酒屋でゲイの人と会う時は、できるだけ使う言葉に気をつけるようにしています。そして、そういう配慮をしてくれる人と話していると安心して楽しい時間を過ごせます。周囲の人に聞かれにくい状況で適切な声の大きさで話す分には気にならないので、あくまでTPO次第なんでしょうけれどね。

ここまで書いておいてなんですが、そういう僕自身にはゲイ同士のコミュニケーションで失敗がないのかというと、大なり小なり、やらかしていると思う。ゲイの人と会うようになってまだ数ヶ月なので、どこまで自分のことを開示していいのか、どこまで相手のことを聞いて良いのか、距離感の取り方は試行錯誤の連続で、10代、20代の頃からゲイと自認して経験を積んでいる人と話すと、なんてスマートな対応ができるんだろうと思うことばかりだ。ここに書いた、ゲイだと分かる単語の使い方への配慮についても、そういう話し方をしてくれたゲイの人との会話の中で、なるほどと思って真似させてもらったことだ。

自分がしまったと思うことをその場で謝ることができたならともかく、後でしまったと気づいてももう謝るタイミングを逸していることもあるし、僕が気付いていないことを含めて、色々とやらかしているんじゃないかと思う。人間関係で失敗しないことなんてないだろうから、少しずつでも失敗から学んで、謝れるならきちんと謝って、人間関係の築き方・維持の仕方を学んでいくしかない。そういう意味で、自戒の念も込めてこの文章を書いているのだけど、これからも学ぶことは多いんだろうなと思います。