fuchi's diary

都内在住のゲイの感じたこと、考えたこと

ゲイの友達について

このブログを通じてゲイの方と個別にやり取りをするようになってから、ほぼ半年が経った。僕は自分がゲイだと自認するまで、相手がゲイと分かって誰かと話したことはなかったから、この半年は、何度も新しい経験をさせてもらった。今も1〜2ヶ月前を振り返ると遠い昔のことのように感じられる位に、新鮮な日々を過ごしている。

僕の近況をまた伝えたいと思っている方もいるし、継続的にやり取りする中で、ブログには書きにくい悩みを相談したり、共通する趣味を楽しんでいる方もいる。初めて会った時、楽しく感じると同時にまた会えるのかなと少し不安に思ったりしたけれど、今は自信を持って「また会おう」と言える友達もできた。ブログを始めたばかりの頃を思い返すと、なんて恵まれた状況だろうという感慨が湧いてくる。

ゲイの友達には、ゲイではない友達と比べると、「仲間」だと感じる瞬間が多い。そんな瞬間を感じた場面を2つ、書いてみようと思う。

1つ目は、僕の性格は「慎重さ」が結構強いと思うのだけど、慎重が行き過ぎてゲイとしてどうやって行動していけばいいのか足踏み状態になっていた時、あえて僕の「慎重さ」と違う考えをぶつけてくれた方がいた。ブログに書いたことも書いていないことも含めて、お互いのことを知った上での踏み込んだ言葉は、相手がどういう意図でその言葉を言ったのかと考えることができるから、僕も真剣にその言葉を受け止めて、自分の「慎重さ」の先にあった、僕が怯えているものを見つめ直すことができた。

その時のやり取りを通じて、僕は自分の「慎重さ」を大事にしつつも、自分が想像していないことが起きたときにも楽しめる位の余裕を持とうと意識するようになった。それができるようになったとは言わないけど、このことを意識するようになってから、色々と身の回りにも変化が起きるようになって、僕にとって一つの転機になったように思う。

 

もう1つ、ゲイを自認して行動を始めたばかりの僕は、ゲイの人に会うと悩みを聞いてもらうことが多かったと思うのだけど、この間、何度も会っている方とちょっとした用事があってお会いした時、ゲイとしての側面ではないことについて、その方が抱えていることを聞かせてもらった。そして、一通りの話を聞かせてもらった最後に、「この話はふちさんに初めてしたかも」という言葉を聞いて、とても嬉しかった。

そのときに思ったのは、セクシャリティに関係のない悩みについて相談するにしても、自分がゲイであることを知らない友達より、同じセクシャリティの友達の方が相談しやすいのではないか、ということだ。

自分のことをゲイだと知らない友達には、それがどれだけ付き合いが長い友達だとしても、ゲイであるという秘密を抱えていると(時と場合によって大なり小なり違いはあるにせよ)意識してしまうだろう。そして、相談したい悩み事がセクシャリティと直接は関係がないことだとしても、秘密を抱えていることを意識しながら相談をするのでは、腹を割った話をしにくくなってしまう。

じゃあゲイ同士だと何でもすぐに話せるのかというと、ゲイ特有の悩みは初対面でも話しやすいけど、ゲイ以外の側面で自分を形作ったような過去や悩みをありのまま話すとなると、ある程度の期間やり取りが続いている人でないと難しいのかなと思う。

ゲイの友達は、ゲイ特有の悩みを相談できる意味で大切なのは間違いないけど、ゲイとしての側面が直接関係しない悩みについてもお互いに相談できる友達がいると、人生に大きな安定感をもたらしてくれると感じている。ゲイの人間関係は長続きさせるのが難しいと聞くこともあるけれど、今の僕の周りにあって、広がりつつある繋がりを大事にしていきたい。