fuchi's diary

都内在住のゲイの感じたこと、考えたこと

信頼と安心について

最近、「信頼」と「安心」という単語が目につくことが多い。

とある本では、信頼は「不確実性の中でも相手は自分に対してそんなにひどいことはしないだろうと考えること」、安心は「不確実を排除するために可能な限りの準備をした結果得られる感情」というふうに、この2つを区別していた。

 

安心することに満足していれば、普段は自分のやりやすいように生きられるかもしれない。

だけど、不確実性を絶対に排除することなんてできないから、「安心」だけを頼りに生きていこうとしたら、想定外の何かが起きたら自分一人だけということを突きつけられて、身動きが取れなくなってしまうかもしれない。

このブログを書き始めて、現実世界でもゲイとしての側面で動き始めるまで、僕は人生における「安心」を偏重的なくらいに重視していたんだなと、今になって気付かされた。

 

僕だけじゃなく、ゲイとしての活動を始めるかどうか悩んでいる人は、頭の中に占める「安心」の比重がかなり大きくて、「信頼」について考えるのが難しくなっていることが多いように思う。

それは、世の中から自分の身を守るために必要なことだけれど、僕自身について振り返ってみると、ゲイ以外の側面も含めて、安心を重視しすぎたことが原因で見逃したチャンスもあったのかなと今は思うようになった。

 

ブログを始めてからの2年間、自分を取り巻く環境がかなりのスピードで変化していく時期もあれば、何も変わらない日々に焦りを覚える時期もあったけれど、幸いにも、自分の想定外の楽しいこと・嬉しいこととめぐり会うことの方が多かった。

その理由の一つは、あまり意識してはいなかったけど、ブログを通じて関わることになった人を信頼していたからだと思う。

 

前回、偶然を楽しむ余裕を持つことについて書いたけど、これも信頼ということとリンクしているように思う。

偶然を楽しむというのは、何が起こるか分からない不確実な中でも、きっと楽しいことが起きると信じるということだからだ。

 

何でも信じれば良いというものではないし、大前提として避けなければならないリスクというものもあるけれど、生きやすさは安心を求めるだけでは得られなくて、自分の周りにいる人を信頼して、自分も信頼してもらえる中で得られるものなんじゃないかと考えるようになった。

 

どうやったら信頼関係を築けるか、というのはこれまた正解のないような話だけれど、まずは「安心」だけでなく、「信頼」も大事であることを意識していこうと思う。