fuchi's diary

都内在住のゲイの感じたこと、考えたこと

生活リズムの再調整

先週の後半ぐらいからどうも気分が落ち込み気味で、特にこの間の土日は、グルグルと悩みがちな週末を過ごしていた。

週末に書いたブログの下書きを読み返してみると、「大学生や社会人になりたての頃にゲイであることを受け入れていたら、僕の人生はどうなっていたんだろう」とか「今からでも間に合うんだろうか。間に合うって何に?それが今の僕には見えない。あるいは直視できない」とか、マイナス思考のループに入り込むようなことを書き綴っていた。

 

昨日は少し早めに寝ることができて、今日は頭がスッキリしてきたので振り返ってみると、「疲れが溜まっていた」というシンプルな理由が、悩みの迷路に入り込んでいた一番の理由じゃないかと思えてきた。

ここ数週間くらいの間、徐々に仕事が忙しくなってきていて、先週は一つのピークがあったので、仕事の疲れが溜まっていたというのがまず大きい。それと、最近の土日はゲイの人に会う機会が増えてきていて、それはとても楽しくて貴重な経験で、今の僕にとってはすごく優先順位が高いことなのだけど、インドア派だった僕がそれなりの頻度で外出するようになったので、その変化に身体がまだ追いついていないということも大きいと思う。

 

それで、やらなきゃいけないなと思ったのが、タイトルにも書いた「生活リズムの再調整」。ブログを書く頻度を減らせばなんとかなるかなと思っていたけど、それだけじゃどうも足りなさそうで、生活リズム全般を最適化していく必要があるなと感じている。

これまでは仕事で疲れが溜まっても、土日にリセットすればいいやと考えてきていたけど、上に書いたように僕にとって土日の重要性が増してきているので、平日の疲れはできるだけ平日のうちに対処していく必要がある。なので、夕食後に散歩したりとか、風呂の後にストレッチしたりとか、寝る直前はネットから離れてみたりとか、すぐできそうなことから色々試してみて、今の僕に最適な生活リズムになるよう調整していきたい。

疲れた顔して誰かに会っても、相手に失礼になってしまうし、僕も楽しめない。これまでも健康に気をつけなきゃ、というのは意識していたつもりだけど、「気をつける」じゃなくて、自分の身体に「気を遣える」ようになりたいと思う。

 

「過去には戻れないから、今から始めるのが僕にとって一番早いタイミング。」

この言葉をプラスに感じるか、マイナスに感じるかは、肉体的・精神的な疲労度を測る良いバロメーターになるかも、なんて思ってます。

感謝の言葉

神原さんが、2年間続けていた毎日の更新を不定期更新にして、少しお休みするという記事を書いていた。

mituteru66.hatenablog.com

 

神原さんの文章は、ゲイを自認したばかりの僕が、ゲイとしてどう生きていくかを考えるうえで沢山の示唆を与えてくれた。また、神原さんは、このブログを始めたばかりの頃に何度か僕の文章を紹介してくれた。神原さんが僕の文章を紹介することでできた縁が、他のゲイブロガーさんと仲良くなるきっかけになったこともあった。他にも、僕の文章を読んでくれているのかなと思う文章を神原さんが書いていることもあったりして、それがとても嬉しくて、励みになっていました。

 

僭越ですが、神原さんが大切にしたい、やってみたいと思うことに取り組んでいくのを応援しています。

 

この間、年齢を重ねていくことについて、今の僕が考えていることを文章にしてみた。そのことについて考えを少し進めてみたのだけど、去年、ゲイであると自認できる前の僕は、ゲイという側面についてできるだけ考えないようにする代わりに、ゲイ以外の側面では、自分にできそうなことで将来の選択肢を増やせるものはなんでもチャレンジして、何かを捨てることなく、出来る限り人生の可能性を広げようと行動していたと思う。

それで得たものもあるけれど、どこまでも可能性を広げようとした結果、去年は仕事で無茶をして身体を壊すことになってしまった。

それ以降は、人生の可能性を全方向的に広げるよりも、今の自分を取り巻く環境を踏まえて、大切にしたいものに優先順位をつけることも人生を生きる上で必要なんじゃないかと考え始めた。それで、ゲイを自認した後は、自分のできるペースで、少しずつ、ゲイとしての側面で行動を始めている。最初は文章を書くことしか思いつかなかったのが、今では、ブログを始めた頃には想像できなかったくらい、世界が広がりつつある。そして、これから先も、前に進んでいきたいと考えている。

人生の可能性に優先順位をつけることで、何者かになれる可能性は減ってしまうかもしれないけど、無限の可能性を手が届きそうな選択肢に限定することで、僕が望むもの、僕がこれまで出会った大切にしたい人、そしてこれから出会う大切な人と一緒に生きていきたいという気持ちが見えてきた。それは人生の無限の可能性とくらべても、遜色ないくらい魅力的なものだと感じている。そして、そういう風に考え始めてから、僕は、やっと僕自身の人生を歩み始めることができたように感じている。

 

ここには書ききれないことも含めて、神原さんには心から感謝しています。本当にありがとうございました。区切りとなる文章を読んだ神原さんの読者からメールが沢山届くだろうと思うので、ブログに書きました。また神原さんの文章を読める日を楽しみにしています。

年齢を重ねた先にあるもの

最近、年齢を重ねていった将来の自分のこと、10年くらい先の自分のことについて、考えることが多い。

去年までの僕は、自分が年を取るということをあまり考えていなかった。

1年後、2年後くらいの未来は想像できるけど、今とそんなに違わなさそうだから、考える意味を見いだせなかった。

逆に、もっと将来の、10年後やそれから先の自分のことは、全く想像ができなかった。10年後の僕がどんな仕事をしているのか、どういう人たちと一緒にいるのか、イメージの端緒をつかむことすらできなかった。

その原因としては、自分がゲイであることをほぼ確実と分かっていながら、受け入れられなかったことが大きいと思う。

 

ゲイであることを受け入れて、このブログを始めてから数ヶ月経って、最近少しずつだけど、将来の、10年くらい先の自分について、こうなったらいいなと思うことが増えてきた。一番考えることが多いのは、お互いに敬意を持って接したり、支え合えるような人たちと、長期的な人間関係を築いていけたらいいなということだ。

 

もし、僕のパートナーとなってくれる人と出会うことができたら、できる限りその人を支えてあげたい。僕は、得意なことと不得意なことがはっきりしてる方だから、僕の得意分野でサポートできることもあるだろうし、僕の苦手なところや短所について気付いてフォローしてくれると、嬉しいなと思う。喧嘩をしても、きちんと話し合えるような関係を少しずつ、つくっていけたらいいなと思う。

パートナーだけじゃなくて、同じセクシャリティをもった友人とも、長期的な友人関係を築いていきたい。 僕はもともと地元の友達も職場での友達もそんなに多い方じゃないので、大勢でなくてもいいけど、気の合う友達と長く関係を保っていけたらいいなと思う。

 

ものすごく理想的というか、今の時点では夢みたいなことを書いているけど、これを実現するためには、僕自身の日々の過ごし方において、精進していくべきことが色々とあるように思う。

この夢のような人間関係を築いていきたいと思うようになってから、何をどう精進するのか、人間関係以外の、仕事、健康、趣味や家事といったことについても、将来のために僕が何を考えて、どう行動していけばいいのかを考えやすくなった。

僕がこうありたいと思う人間関係は、自分以外の人と共に生きていくことなのだから、それを実現するためには、仕事への取り組み方やどういうキャリアを歩んでいくかを考える必要があるし、健康に気をつけてきちんと維持していかないといけないし、趣味や家事についても工夫したりバランスをとった方が良いのかな、とあれこれ考えている。

一方で、自分一人の頭で考えすぎても無理が生じるだろうから、あれこれ考えたことを自分一人で抱え込まずに伝えることも大切なのかなとも思ってる。

 

とりとめもなく書いたけど、これは今の僕が考えていることだから、数ヶ月後、数週間後、下手したら数日後には違うことを考えているかもしれない。でも、自分の将来を考えることは、続けていきたいし、続けていると思う。

こんな風に、どうやって30代を過ごして40代に繋げていこうかと考え始めたことは、僕にとって地殻変動に近い出来事のように感じている。

 

それと、年齢を重ねるということについても、実感が湧いてきた。

20代の頃は仕事ばかりしていたこともあって、就職して数年経った頃から、年をとる感覚がかなり失われていた。だから、30歳を過ぎてもまだ26、27歳くらいの気持ちでいたのだけれど、止まっていた人生の針が動き始めたような、そんな感覚を持っている。

年をとるというと、「老い」というマイナスなイメージを連想することが多かったのが、今は、年齢を重ねることで「成熟」していけたらと考えるようになった。この変化を、僕はとても前向きにとらえてます。

あれは初恋だったのか<下>

ようやくタイトルの問いにたどり着いた。僕の心は、あの日、T君の温もりを感じた時から、T君に猛烈に惹きつけられてやまなくなった。

T君に惹きつけられたあの感情が恋だったのかは、今も断言はできない。でも、きっと恋だったんだと思う。僕がT君に抱いた感情は、友情の延長にあるものとしてはあまりに鮮烈で、理性では逃れることが許されない性質のものだった。

僕は、10代の頃に同性の友達を好きになったことがあるけれど、10代の頃の「好き」は友情と恋愛の感情が未分離で、友達として好きだけどそれ以上に好きでもあり、恋愛対象として好きだけど友達としての好きと分けることができないものだった。

T君へ向けた感情は、僕が10代で経験した「好き」とは違って、T君のことを考えないようにしようとしても制御できない、常に喉元に突きつけられるような強烈な感情だった。そして、それは苦しいのに、苦しさ以上に僕の心を満たす何かも持っていた。

 

僕がT君にこのような感情を持ったことを、もしかしたらT君は気付いていたのかもしれないと思う。あの日曜日の翌日、実は、もう一度家に来てもらえないかとお願いするメッセージを僕はT君に送っていた。あの日、僕の性的指向に気づいた可能性が高い彼の対応があまりにも優しかったから、もしかしたら、彼もそうなのかもしれないという淡い期待があったからだ。

だけど、T君は僕が傷つかないような形で僕からの誘いをスルーしつつ、気遣う言葉をかけてくれた。その対応のおかげで、僕は頭を冷やすことができて、これ以上T君に頼ってばかりはよくないと、お詫びとお礼のメッセージを送って、友人としての関係を維持していこうと決意した。

ただ、友人でいようと決意したとは言っても、彼からLINEが来るたびに些細な内容でも心が軽やかになるし、彼の顔を見れば、それまで見ていた彼の顔の何倍もカッコよく見えるしで、結局、T君への一方的な想いが穏やかな友情へと解消するまでには、数ヶ月〜半年くらいの期間が必要だった。

今もT君とは友達で、連絡をよく取るけど、今はT君を前にしても、あの頃の強烈な感情が舞い戻ることはない。でも、あの日の出来事、そしてあの日から数ヶ月の間、T君に向けていた僕の感情は、これから僕が生きていく上でたびたび振り返る、貴重な経験になるのだと思う。

今はまだこの経験から汲み取れるものを言葉にすることがうまくできないけど、そう遠くないうちに、大切な示唆を与えてくれる時がくる、そんな予感がする。

 

終わり 

fuchi00.hateblo.jp

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あれは初恋だったのか<中>

30分くらいの間、T君を抱きしめ続けていると、ようやく涙がとまってきた。でも、僕はT君の温もりから離れるのが惜しくて、T君に密着したままもぞもぞし続けた。しばらくするとT君も僕の涙が止まったことに気づいたようで、僕の背中を撫でていたT君の手が動かなくなった。それを合図に僕がT君を見上げると、「落ち着いた?」とT君が一言ささやいた。

僕はそれに、「うん…」と相づちをうった。だけど、彼から離れるのは名残惜しくて、もう10分くらい、彼にくっついていた。ようやく、少しは落ち着けたと思えたタイミングで彼から離れて、彼の隣に座り直した、と思う。正直にいえば、この辺りの記憶はものすごく曖昧だ。彼に抱きつく瞬間まではその時の行動も感情も何を考えていたかもありありと覚えているのだけど、彼に抱きついた後は、僕の頭が何を考えていたのか、ほとんど記憶になくて、覚えているのはどんな行動をしたか、というおぼろげな記憶だけだ。

 

彼から離れた後、多少は落ち着いたけど僕はまだ不安定で、たしか、日曜の午後にやっていたテレビを適当につけて、それに飽きると、その場にあった古いSF映画を1本、彼と見た。その間、僕は彼にお願いして、ずっと手を握ってもらっていた。横に並んでテレビを見ながらだから、向かい合っての握手じゃなかった。彼は何も言わずに、僕の手を握ってくれていた。いや、この言い方は正確じゃないか。僕は彼の手を握りしめ続けて、彼はそれをそのまま受け入れてくれた。

結局、昼間から日が暮れるまでほとんどの時間、僕はずっとT君の手を握っていたように思う。その頃になると僕も少しは頭が働くようになってきた。T君のつぶやくような声が耳に残っている。「もう大丈夫?」

僕はまた、「うん」と答えた。今度の返事は、抱きしめていたT君から離れたときよりも、しっかりとした返事ができたと思う。その後、二人で夕食を食べに行って、駅までT君を見送って、1日が終わった。

 

この日の後の数日間、僕はものすごく弱気なLINEを彼に送って、それに対して、彼はとても大人な対応をしてくれた。1週間くらい経って、僕はようやく冷静さを取り戻して、大変見苦しい所を見せてしまったと彼にメッセージを送ると、彼は「どういたしまして」とやはり大人な対応をしてくれた。それ以降は、僕とT君は、またこれまでどおりの友人関係に戻ったように思う。

 

この話は、出来事としてはここで一段落。

あの日、T君が僕に会ってくれたおかげで、僕は一人で居るより、ずっと早く立ち直ることができたと思う。また、僕の身体と感情は男の人の温もりを求めていたんだと知ることができた。僕の頭がそれを受け入れるのには、もう数年待たなければいけなかったけど、僕が去年の夏に、自分がゲイであると受け入れることができたのは、T君と過ごした1日があったからこそだと思う。

 

T君の方からこの出来事を見ると、さぞかしビックリしたことは間違いないだろう。ビックリするだけじゃなくて、彼が抱いた感情はほかにもあるだろうけど、彼があの時の僕をどんな風に見ていたのかは分からない。

彼が何を考えたかは分からないけど、言葉ではゲイでもホモでもないと言いながら、男性であるT君に抱きついて安心している僕の行動を見れば、僕が男の人を愛する同性愛者だということに、そして、僕自身がそれを受け入れることができていないのだと、T君は気付いていたんじゃないかと思う。

僕とT君には共通の知り合いがそこそこ居て、この出来事があってからもう数年は経つけれど、誰からも、この日のことを言われていない。彼が一人で胸にしまってくれているんだと思う。人は誰もが他人に話せない秘密を抱えていて、それを話してくれた人が居たら、その秘密を誰にも話さないことが信頼関係なのだと思う。T君はそれができる人で、そういう彼だと分かって、僕も、あの日の行動をとったのかもしれない。

 

続く

fuchi00.hateblo.jp

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