fuchi's diary

都内在住のゲイの感じたこと、考えたこと

あれは初恋だったのか<上>

僕は女性とお付き合いをしたことがある。彼女との交際は、僕が男の人にしか性的関心を持てないという現実に直面して、逃げるように別れて終わってしまった。彼女を傷つけてしまったことは本当に申し訳ないと思うと同時に、僕自身も、現実を受け止めきれず、ボロボロになってしまった。

このことはブログを始めたばかりの頃に少しだけ触れたけど、なかなか文章にすることができなかった。この3連休は、いろんな意味でこの出来事(正確に言えばこの後に起こった出来事)を書くタイミングとして適しているように思うから、久しぶりに自分の過去を文章にしてみようと思う。 

 

これから書く出来事があったのは、一年で最も寒い時期、ちょうど2月の今くらいの頃だった。20代後半だった僕が、女性に性的関心を持てないと認めざるを得なかったあの日、彼女が去っていった後、僕はひどいパニックに陥ってしまった。あれは土曜日の夜で、自分一人でこの混乱を収めることは到底できないように思えた。

もう夜も遅くなっていたのだけど、その頃仲良くしていた友達に連絡をとったら、翌日、日曜の午後に会って話を聞いてくれることになった。この記事ではその友達のことを仮にT君と呼ぶことにする。

 

(このときも、去年の夏に仕事で倒れたときもそうだけど、僕は、自分では背負いきれない緊急事態が起こると、他人に助けを求めることができるようだ。助けを求めて、それに手を差し伸べてくれる人が居たということには感謝しかない。)

 

僕はそんなに友達が多い方ではないけれど、T君は僕の友達の中でも、(性的指向のことは除いて)何でも話せる友達だった。向こうもそのように感じてくれていたと思う。T君とは特に用がなくても週に数回はLINEでやり取りをしていて、たまに飲みやご飯を食べに行ったりしていた。仕事が友達みたいになっていたあの頃の僕にとって、とてもありがたい存在だった。

土曜の夜の時点では、僕はT君に話を聞いてもらえれば、頭が整理されて落ち着くことができるはず、くらいに考えていた。まさか自分があんな行動を起こすとは本気で思っていなかった。

 

何を話すかはT君に事前には伝えなかったけど、話す内容が僕自身の性的な話題だったから、外で話すには適さないということだけは伝えて、T君に僕の家に来てもらって、話を聞いてもらうことになった。

翌日の日曜日、お昼過ぎに、僕が当時住んでいた独身者用の賃貸マンションにT君がやって来て、ラグの上に適当にクッションを置いて、座りながらポツポツと話し始めた。

日曜の昼に、いきなり性的な悩みを話し始めるというのは、もしかしたら、一般的ではないのかもしれない。ただ、その当時、僕は性的な悩み以外にもいくつか、人生の困難とでも言うべき悩みを抱えていたのだけど、その悩みを彼には既に話していて、彼も、他の人には話せない悩みを僕に話してくれていた。僕と彼との間には、悩みを率直に話し合える信頼関係が構築されていたと思う。

 

T君は、僕に女性の恋人がいたことを知っていたので、僕は、淡々と彼女と別れることになったと説明しようとした。だけど、話し始めて1分も経たないうちに涙がポロポロこぼれだしてしまった。そして、女の人を性的対象として見れないとか、それでも僕はゲイでもホモでもないんだとか、理性の歯止めが全くない状態で自分が何を喋っているのか分からないまま、まくし立てるように、涙だけでなく言葉も止まらなくなってしまった。

僕は何かにすがりつかないと耐えられない気持ちになって、胡坐をかいて座っていたT君の背中に手を回して、彼のジーンズに僕の顔をこすりつけて、抱きついた。T君の服からは、彼が使っている芳香剤の香りがした。僕はT君を抱きしめ続けて、僕の腕や顔を通じて伝わるT君の温もりに、これまでに経験したことのない安堵を覚えていた。僕が求め続けていたもの、それは男の人を抱きしめて、抱きしめられることだったんだと、僕の身体はすぐに理解したらしい。

僕の涙でT君の服はグチャグチャになってしまったけれど、T君は、何も言わずに僕の背中を撫で続けてくれた。僕が男の人の温もりを感じたのは、あの時が初めてだったと思う。それまでも飲み会のノリでハグされるようなことはあったけど、僕の剥き出しの感情を受け止めて、背中を何度も撫でることで大丈夫だよと伝えてくれる、そういう抱擁は初めてだった。

 

続く 

fuchi00.hateblo.jp

 

人間関係を育むということ

最近、人間関係、特に友情や愛情といった個人的な関係について、どうしたら築いていけるのかを考えることが多い。思考の出発点は、人間関係は必ず相手がいて、相手とともに育んでいくものだということ。改めて書いてみるとなんて当たり前のことだろうと思うけど、ここをスタート地点として考えたことを書いてみます。

 

これも改めて言うようなことでもないけれど、人間関係は、会話や文章で言葉を交わすことや、何かの行動を共にすることで深まっていくものだろう。そして、言葉や行動を共有するということは、それらの中に含まれる繊細な感情を共有したり、そもそも、誰の人生にとっても有限で貴重な時間を分かち合うということも含まれている。

 

人間関係を、自分と相手が一緒に育てる一本の樹木に例えて考えを進めてみる。

年月を重ねて、人間関係がしっかり根を張った大きな木に育っていれば、1リットルの水を注いでもなんてことないだろうけど、まだ種から芽吹いたばかりの状態で1リットルの水を注いだら、育てようとしたものが丸ごと流されてしまうかもしれない。最初の頃は、コップ一杯の水がちょうど良いという時期もあるだろう。

逆に、水を与えすぎることを心配してまったく水を与えないというのも、芽が成長する機会を遅らせて、場合によっては枯らせてしまうかもしれない。

でも、根っこから引き抜いてしまうようなことをしなければ、植物はたくましい生きものだから、ちょっとくらい失敗したと思っても、成長していくんじゃないかとも思う。

 

自分が注ぐ水と相手が注ぐ水を確認しながら、少しずつ成長を見守っていく。相手が注いだ水の量やそもそも水を注いでいるのかどうか分からないこともあるかもしれないけど、相手のことを想像して、自分の行動を決めていく。相手と時間を共有している間だけじゃなくて、共有する前や共有した後に相手のことを考える時間も、人間関係を育むために必要で大切なことだと思う。

 

人間関係は1つだけではなくて、家族、友人、職場と、僕の周りにこれまで培った人間関係がいくつもあるように、相手にも僕以外の人間関係がある。だから、僕も相手も、新たに育てようとしている一本の若木だけに時間を割くことはできない。

これまでの人間関係があって、生計を立てるために仕事をする必要があるし、ライフワークにも取り組みたい。色々とやるべきことはあって、それでも時間を作って一緒に育てたいという思いが合致したときに、育てることができるもの。

友情とか愛情はそういう風にして育んでいくものなのかなと、今の僕は考えている。

世界の地図を書き足していく

前回書いた記事を読み返してみたら、まるで、ドラクエ6で現実世界のムドーを倒してダーマ神殿が復活した後、初めて自分で操作する船旅に出たときのような、あるいはFF7でミッドガルを脱出して、初めてフィールドマップに出たときのような、そんな開放的な気持ちを抱いて文章を書いていたんだなと思った。

 

僕は、このブログに書いた自分の文章をちょくちょく読み返している。どうして読み返したくなるのか、その理由が分からなかったのだけど、前回の記事が上に書いたRPGのシーンみたいだと感じたときに、なんとなくその理由が掴めたような気がした。

 

僕にとってブログに文章を書くことは、大きな紙に、手書きの地図を書き加えていくようなものなのかもしれない。自分の目で見て、耳で聞いて、心で感じて、頭で考えたことを少しずつ記録していく場所。文章を書くことは、どんな場所か分からなくて先に進むのを躊躇していた世界の地図を書き足していく行為に例えられるかもと思った。

 

自分が書いた手書きの地図を確認することで、これまで自分が進んできた道と、今の自分がいる場所と、これから進もうとしている場所を確認していると考えてみると、自分の文章を読み返したくなる訳がしっくりときた。

前に進む勇気をくれたもの

1月末で、ブログを開始してから三ヶ月が経つ。僕はこのブログを始めたとき、こんなことを書いていた。

ゲイの知り合いもいないし、周囲の誰にカミングアウトしたこともない。ゲイとして生きると決めても、何から始めて良いのかも分からない状態だけど、まずは、ゲイであることを受け入れた自分が日常の中で感じたこと、考えたことを書き残すことから始めたいと思った。 

 

それから、僕は、ゲイという側面もゲイじゃない側面も含めて、僕が考えていることを書き始めた。コメントをいただいたり、メールをいただいたり、他のブロガーさんに言及していただいたりして、書き続ける勇気をもらいながら、少しずつ、これまで向き合ってこなかった僕という存在を文章にしていった。

それと同時に、沢山のゲイブログを読んだ。僕が知らないことを沢山知ることができたし、また、僕もこういう風になれたらいいなと、ロールモデルのようにさせてもらっているブログもある。(最初の頃は、あまり深く考えずにはてなスターを連発していたので、驚かせてしまったブロガーさんもいるかも…驚かせてしまっていたらすみません。)

 

ただ、自分のブログを書いて、他の人のブログを読むことを続けていく中で、迷いも生じた。去年の末にはこんなことを書いた。

未だに現実世界でゲイの人と会ったことがない、ということに焦りを感じることもあるのだけど、少しずつ前進しているはずだから、「現実世界でゲイの人と会う」ということについても、「当面の目標」の一つとして、焦りすぎず、いつか実現できたらなと思う。

 

「焦りを感じることもある」なんて澄まして書いているけれど、この頃の僕は、内心ものすごく焦りを感じていた。その原因は、クリスマスの3連休を特に予定もなく過ごしたことにあると考えている。

それまでは、ブログを書いて、それを読んでくれる人がいるだけで幸せに感じていたのに、何も起こらない自分一人だけの3連休を過ごして、本当にこのままで良いのかなと、急に焦りを感じ始めた。そんな自分をどうにかしたくて、昨年末は来年の「目標」とか「目的」についての文章を続けて書いた。そのうちの一つとして、こんなことを書いた。

僕から発信していかないとゲイの人との交流は始まらない、という意味では目標を立てて自分で頑張るべき面もあるけど、最終的には、相手の方が僕に関わりを持ちたいと思っていなければ成立しない。相手の感情に関わることは僕にはどうしようもないので、これは僕にとって「当面の目標」ということにしようと思う。

 

年が明けて1月になって、僕は自分から発信することを実行した。そうしたら、本当にいろんなことが起こった。この1月に起きたことは、僕の人生にとってすごく重要な出来事になるだろうと思っていて、今はまだ文章にすることができない。それに、整理がついて文章にできたとしても、ブログには詳しいことは書かないと思う。大事なのは、その出来事によって僕は背中を押してもらえて、ゲイの世界を歩いていくための勇気をもらったということだ。

 

今振り返ると、10月末のあの時期にブログを始めたこと、11月から12月にかけて、文章を一つ一つ、その時の自分が書ける精一杯のものを書き続けたこと。多くのゲイブロガーの文章を読んだこと。そして、それまでにもらった勇気を携えて、自分からの発信を試したこと。これらが全て結びついて、僕はとうとう一歩を踏み出せた。

去年の夏に、ゲイであることを受け入れてから考えると約半年。このブログを始めてからだと3ヶ月。何から始めて良いか分からなかった僕だけど、何にチャレンジするかをやっと決めることができた。何をするのかという具体的な話は、ある程度時間が経ってから、然るべき時に書きたいと思います。

賽は投げられたので、もう後戻りはできない。それなのに、不思議と怖さは感じない。緊張は感じるけど、それは新しい世界を広げていくときには誰もが持つ類のもので、身体が動けなくなるようなものじゃない。僕は、ある程度の緊張感というのはプラスにとらえているので、いいコンディションなんだと思う。

 

少し残念なのは、このチャレンジをすることによってブログのために使える時間が減ってしまうので、これまでの更新頻度を維持することは難しそう、ということだ。これまでは週に2〜3回の更新を目指していたのだけど、これからは週1回を目安にしたいと考えている。

もしかしたら週1回の更新も難しいかもしれないけど、それでも、ブログを書くことは続けていきたい。僕がゲイとしてどう行動すべきかを見つけるという、ブログを始めた当初、僕が考えていた文章を書く目的は変わるけれど、新たな目的のために、文章を書き続けたいと思っています。 

 

fuchi00.hateblo.jp

 

fuchi00.hateblo.jp

 

上を向いて走ろう

『僕たちのカラフルな毎日』の感想を書いてから、仕事もプライベートも色々と動きがあって、特に金(の夜)・土・日と連日人と会う予定が入ったのはかなり久しぶりだったのだけど、今日はその最後のイベントとして、友人に誘われて、都内で開催されたマラソン大会に参加してきました。

ラソン大会といっても、僕が走ったのは5kmのコースでしたが、今日はよく晴れていて、気温も寒すぎず暑すぎず、とってもランニング日和な天候で気持ちのいい汗をかくことができました。

 

ランニングのコースはかなり広大な敷地の中に設けられていて、走っている最中に上を見上げると、周りの建物とかが一切入り込まず、冬の空が本当に高く見えました。また、走りながら自分の周囲を見ると、楽しそうに走っている人、それを沿道で応援する人など、みんなが笑顔でした。そんな人達と一緒に走ったことで心が癒されたので、参加して良かったです。

 

上を向いて歩こう、ではなくて上を向いて走った訳ですけど、やっぱり、外に出ることは大事だなと、最近考えていることを改めて思いました。今週はイベントが立て続けにあったので、疲れが残らないよう来週は大人しくしようと考えてますが、2月からは、定期的に外に出て、できる範囲で色々と行動していきたいと思います。行動しながら、行動と休息のバランスを探っていきたいです。

 

そんなことを考えた記念に、今日撮った空の写真をアイコンにしてみました。今までずっとアイコン画像は無しでやってきたのだけど、それは、アイコンは自分なりブログなりを象徴するものなので、ピンとくるものが見つかるまで画像なしのままで良いという理由でした。

青空の透明さや凛とした感じだけなら、東京よりもっと綺麗な空は沢山あると思うけど、今日、僕が見上げた空は、今の僕にピンとくるものを持っていた。そして、この空を見上げて感じたことを忘れそうになったとき、写真を見ることで、上を向いて行動を起こしていきたいという気持ちを思い出すきっかけになるといいなと、アイコンにすることにしました。

 

イコン画像のことは地味に悩んでいたので、とりあえず決めることができて良かった。しばらくはこれでやってみようと思います。