fuchi's diary

都内在住のゲイの感じたこと、考えたこと

『二時間だけのバカンス』の私的解釈

宇多田ヒカルのアルバム『Fantôme』を繰り返し聞いていて、その中でも特に『二時間だけのバカンス』を一番リピートしてます。

歌詞とメロディーが組み合わさって、聞くたびに「ここはこういう意味なのかな?」「ここはこんなメッセージを伝えたいのかな?」と解釈が広がって、邦楽をここまで繰り返し聞くのはだいぶ久しぶりなのだけど、すごく楽しい。

ほのぼのとした日差しが降りそそぐ観光地のビーチを思わせるメロディーから曲が始まって、進むにつれて曲の盛り上がりと一緒に危うい雰囲気が漂い始め、ぐいぐい引き込まれていく。リピートから抜け出せなくなった。

 

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ミュージックビデオでは、この曲の解釈として、「大人の女性二人(宇多田ヒカル椎名林檎)の非日常的な関係」がインパクトのある映像で示されているのだけど、このミュージックビデオを見て、僕はむしろこの曲は色んな解釈にオープンな曲なんだと感じた。

ということで、僕がこの曲を聞きながら考えてみたことを書いてみます。

 

まず、登場人物は「私」と「僕」の二人。

「私」は、「クローゼットの奥で眠るドレス」と「履かれる日を待つハイヒール」を持っていて、「物語の脇役になって大分月日が経つ」「家族の為にがんばる君」という表現から、3〜5歳くらいの子どもがいて、子育てを頑張っている女性を想像した。

「足りないくらいでいいんです」と言う歌詞からは、経済的にはある程度余裕があるけれど、寂しさを抱えている印象を受ける。

 

「僕」は、「授業をサボって」と「ドライブ」から、大学生か大学院生の男性かな、と。「朝昼晩とがんばる私たち」とあるから、大学以外でも何らかの活動をして、そこで「私」と知り合ったのかな。

そして、「私」と「僕」がバカンスを欲張りすぎると「身を滅ぼす」ことになるのだから、「私」のパートナー(配偶者)以外の男性なんだろう。(恋人同士・夫婦なら、バカンスを欲張っても「身を滅ぼす」ことはないんじゃないかな。)

 「全ては僕のせいです」なんて言ってるから、「僕」は根は真面目なんだろうけど、「教えてよ、次はいつ」と抑えきれない想いを溢れさせていて、若さを感じさせる。

 

この曲を聞いていて、どういう意味なんだろうと何度も考えたのが次の箇所。(3:04位から始まります。) 

ほら車飛ばして 一度きりの人生ですもの

砂の上で頭の奥が痺れるようなキスして

今日は授業サボって 二人きりで公園歩こう

もしかしたら一生忘れられない笑顔僕に向けて

最初の二行は「私」の言葉で、後ろの二行は「僕」の言葉と読むと、噛み合っているようで噛み合っていない。二人の気持ちのすれ違いが生じているような気がして、歌詞に出てくる「渚」と「公園」の対比から歌詞の意味を考えてみた。

 

私にとっての「渚」は「砂の上で頭の奥が痺れるようなキス」をする場所。「キス」は恋愛関係の象徴なんだろう。

 同じアルバムに収録されていて、ストレートの男性に片思いするゲイの心情を表現したという『ともだち with 小袋成彬』には「キスしたい ハグとかいらないから」という歌詞がある。ここでも「キス」は恋愛関係のシンボル的な意味を持っている。

(僕は好きな人にはキスもいいけど、むしろハグしたいし、してもらいたいと思うのだけど、『ともだち』に出てくる片思い相手は、片思いされてるとは全然気付かずにスキンシップを日常的にしてくるんだろうか。 )

話が脱線したけど、前半の二行では、「私」は「車を飛ばして」「渚」まで行き、「僕」と情熱的な関係になることを夢見ている。

 

一方で後半の二行に出てくる「公園」は、子育ての現実を強く感じさせる場所だ。

大人(少なくとも大学生以上)の二人が行くのだから、上野公園みたいな大人のデートにも使われる所をイメージしているのだけど、そういう場所だとしても、「公園」には子どもの気配があるはずだ。

「私」の自宅からは遠い公園なんだろうけど、「授業をサボって」行く平日の日中の公園だと、親子連れや、近所の保育園・幼稚園の子どもたちに遭遇する可能性は高いだろう。

そういう場所で、子育て中の「私」が「僕」に「一生忘れられない笑顔」を見せてくれるかというと、どうなんだろう。

他人の子どもを見ても気にしない女性もいるだろうし、他人の子どもを見ると自分の子どもを思い出す女性もいるだろう。そして、この歌詞に登場する「脇役」になっても「家族のためにがんばる」「私」は後者な感じがする。だから、「ランデブー」の行き先が「公園」だと、バカンスの最中に現実に引き戻される瞬間があるんじゃないかと思う。

 

それでも、「私」は「足りないくらいでいい」と思っているから、「渚の手前」(ここには「公園」も含まれるんだろう。)での「ランデブー」にも「今すぐに参ります」という。

「お伽話の続きなんて誰も聞きたくない」という歌詞が中盤に出てくるけど、この歌詞と「渚」を関係させて考えてみると、王子様との恋愛が成就せずに物語が終わる「人魚姫」が思い浮かぶ。(このアルバムの中で、『二時間だけのバカンス』の次の曲は『人魚』なのだけど、これは偶然なんだろうか。)

悲劇的な結末は迎えたくないから、物語が動き出さないように、「足りないくらいでいいんです」と思っているのかな。

「公園」でのデートを提案する「僕」を少し物足りなく感じつつ、だけど非日常を感じさせてくれるこの関係は楽しみに思って続けたくて、「私」は「僕」をどんな表情で見つめているんだろうか。

 

あれこれ考えてみたけど、恋愛経験が未熟な僕にはここまでが限界。しばらく時間をおいてから聞いたら、きっとまた違った解釈を楽しめるんだろうなと思います。とにかく、素敵な曲です。