fuchi's diary

都内在住のゲイの感じたこと、考えたこと

『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』Track3までの感想

『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』を読むスピードが中々あがらない。話がつまらないという訳じゃなく、読めば読むほど自分の過去を思い出すからだ。もはや殆ど自分語りになってるけど、この小説を読みながら考えたことだからあくまで本の感想として書くことにした。

 

これから書くことは、主人公である高校生ゲイの純くんが、ゲイであることを隠して腐女子で同級生の三浦さんと付き合い始めた後、レズビアンのケイトさんがオーナーをしているカフェでの、純くんとケイトさんのやり取りを読んで考えたこと。

 

「そういう国でHomosexualがHeterosexualのフリをするのを止めろと言えるほど、ワタシだって立派な人間じゃない。特に純くんはまだBoyなんだから、迷って当然よ」 

 

これは、純くんからの「ゲイなのに彼女が出来たことに疑問はないのかな」との問いかけに、ケイトさんが答えた言葉。悩めるゲイの少年に対する、年長者からの優しい答えだ。

ただ、この言葉には「一つだけ、Hardなことを言うとね」との前置きの後に、忠告が続く。

 

「貴方はShowを始めてしまった。嫌になったからと言って、全部放り投げて、Selfishに舞台から降りるような真似は許されない。それだけは忘れないで。」 

 

僕は社会人になってから、女性とお付き合いしたことが一度だけある。その時の僕は、25歳を超えてアラサーに足を踏み入れていたから、Boyではなかったけど、精神的には未熟そのものだった。

子どもの頃からずっと、男の人に対してだけしか性的関心が起こらなかったのに、女の人と恋人になったら、女の人を性的に好きになるかもしれないと、あの時の僕は真剣に考えていた。どう考えても順序が逆なことに、僕は気づくことができなかった。

 

相手のいることだから、当時の具体的なことは書かない。僕はShowを始めて、舞台を降りてしまった。それだけで十分だ。相手を傷つけてしまい、僕自身もボロボロになっていた。

失敗するにしても、もう少し軟着陸ができていたらと思うけど、男の人とも女の人とも交際経験がなかった僕には無理だろう。

小さな失敗をおそれて避け続けていると、いずれ大きな失敗に遭遇してしまう。この出来事があって以降、僕は「とりあえず試して失敗すること」に価値を見出すようになった(ただ、恋愛の失敗には、大失敗じゃない失敗なんて無いのかもしれない)。

 

僕は、男の人にしか興奮できないという現実を突きつけられて、もはやそれを否定することはできなかった。男の人も女の人も性的に好きになれる人がこの世界にはいるけれど、僕はそうなることはできないと認めざるを得なかった。けれど、それでもまだ、自分がゲイであると認めることができなかった。自分を認めることだけができなくて、僕はまた自分自身にフタをした。

 

・・・ここで終わると後味のよくない結末だけど、この話には続きがあって、ボロボロになった直後の僕を助けてくれた人がいた。そして、彼と過ごした1日が、自分をゲイだと認められるようになった原点だと思う。ただ、それを書くと長くなるから、また別の日に書くことにしよう。