fuchi's diary

都内在住のゲイの感じたこと、考えたこと

言葉の選び方

1月2日、悠さんに僕のブログに触れてもらったことをきっかけに、自分の書いた文章を読み返したら、こんなことを書いていた。

文章には、書いた人の人柄が現れる。僕の文章にも、僕が意識していることだけじゃなくて、意識できないことまで含めて、僕がどういう人間なのか、その断片がこめられていると思う。文章の内容はもちろんだけど、語彙のバラエティ、文体、てにをはの使い方、文と文との間の呼吸の置き方や、同じ内容の文章でもどういう語順や並べ方で構成するか。文章を読み続けていくと、書いた人の人柄が見えてくる。 

fuchi00.hateblo.jp

 

この文章のうち、「てにをはの使い方」と「同じ内容の文章でもどういう語順や並べ方で構成するか」という箇所を書いた時に思い浮かべたものがある。

それは、TBS(MBS)系列で放送しているテレビ番組「プレバト!!」の俳句コーナーだ。

このコーナーは、2018年の紅白歌合戦の審査員にもなった俳人の夏井いつき先生が、芸能人や有名人の俳句を添削するというもので、僕は数年前から録画して、ずっと見続けている。

夏井先生の俳句コーナーは、最初はそれほど熱心には見ていなかった。たまたまチャンネルを変えていたら、芸能人の俳句をばっさり切り抜くような辛口の添削をやっていたのが面白くて見始めたけど、早く帰宅できた日にチャンネルを合わせて見る位だった。

だけど、俳句コーナーを見続けていると、徐々に、「〜を」とか「〜や」といった日本語の助詞1文字が持つ表現の力や、同じ単語を使っているのに語順が変わるだけで読んだ時の印象がガラッと変わる俳句の面白さに惹きつけられて、録画をして毎週欠かさず見るようになった。

 

これは11月にリンク先の記事を書いた時から思っていたことで、文章にもしていたのだけど、ブログにこの番組のことを載せて良いのか、迷っていた。「プレバト!!」という番組の、ゲイ(を含む性的少数者)に対するスタンスが見えてこなかったからだ。

そのスタンスの、全てとは言えないけれど少なくともその一面が、昨日、見えてきたように思う。

 

2019年1月3日に放送された「プレバト!!」は新春特番で、夏井先生が実力を認めた芸能人たちによる俳句のタイトル戦が放送されていた。

タイトル戦のクライマックス、優勝を飾ったのは、2018年の夏にニュースになった「生産性」という言葉を含む国会議員の発言について、納得できない思いの丈を書いたという東国原英夫さんの一句だった。

そして、夏井先生は、東国原さんの句の解説の中でこんなことを言っていた。

「生産性」という言葉を含むあの発言が人々の記憶からちょっとずつ薄れていくにしたがって、この句の意味と意義がちょっとずつ変質していく。だからこそ2018年に詠まなくてはいけないと思う 。

僕は、東国原さんの句そのものというよりは、夏井先生の解説中の「この句の意味と意義がちょっとずつ変質していく」という箇所に、何かを受け取ったように感じた。

世の中に起こる出来事は、それが起こった当時、どんなに大きな出来事であっても、人々の記憶から薄れていかないものはない。小さな出来事であれば1年もせずあっという間に忘れられていくだろうし、歴史に残るような大きな出来事であっても、20年、30年と時が経てば、その当時に生まれていなかった人達はどんどん増えていく。

大きな災害や事故であれば、歴史の教科書にはのるだろうし、それを語り継ぐ活動をする人々や石碑などによって伝承されていくことはあると思う。また、小さな出来事であっても、今の時代であれば、ネット上に何らかの情報は残り続けるかもしれない。

それはとても大事なことだと思うけど、日々新しい出来事は起こり続けていて、一方で人間の記憶力は有限で、世界は変化を続けていく。

だから、あの発言も人々の記憶から薄れていくだろうし、東国原さんが詠んだ句の意味と意義は変質していく。だけど、そうだとしても、この句が存在することの意味と意義は失われない、そういうメッセージを夏井先生が込めているように思えた。

 

夏井先生は、東国原さんの句に対して、「言葉の選び方にも作者の思いが細やかにのっている」と褒めているのだけど、夏井先生の発言も、まさに細やかな思いがあってこそできる発言のように聞こえた。

LGBTに関する句が1位になったということだけをもって、「プレバト!!」がLGBTフレンドリーな番組だとか、そういう風には思わない。だけど、「細やかな思いを大切にする」ということを新春特番の最高潮の場面に持ってくる番組なら、ゲイとしての僕が触れても大丈夫かな、と思うことができた。

僕も、細やかな思いを持って、それを伝えられるような文章を書いていきたいと思う。